「テクノロジーと暮らしについて考える会」第5回目を開催しました。

今回のテーマは「フリー化する世界とその行方」でした。

あらゆる情報やコンテンツが無料で得られることが当たり前となっている中、そうなるに至った歴史や背景にある根本的な物の考え方、フリーの良し悪し、課題・問題、今後のネット社会のあり方などについていろんな角度から話し合いました。

次回は2025/1/12(日)10:00-12:00、テーマは「仮想化される世界」の予定です。

(写真撮り忘れたので以前のを掲載してます😢)

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今や様々なサービスがフリーで得られる御存知の通り。あげるときりがないが動画、ブログ、ニュース系マップ、音楽天気予報、地図、SNS、決済サービスなど。

・インターネットの歴史
1967 年にアーパネット。軍事的が学術的利用が当時の中心。
Amazon、Yahoo、Windows 95、PSPファイル交換ソフト、iモード、2 ちゃんねる、個人ブログ。YouTube、 iTunes、ニコニコ動画。
昔は無法地帯で映画でもゲームデータでもなんでもネットにあった。ある時からユーザー側もコンテンツを作って共有するようになってきた。

・ニコニコ動画の重要性
今の YouTube で人気のある方々配信者さんとか歌手みたいな人とかいっぱいいるが、ニコニコ動画出身者だらけ。いろんなコンテンツの作り方とかも実はニコニコ動画で形成されたものだったりする。コメントが動画の上に流れてくるって、この考え方とかすごい新しくて、結構四次元的になっていて、1年前のコメントがに対してムカついたりするように時空も超えた影響もできたり。今でいうサブスクリプションのモデルも先にやっていた。
ユーザーが単に消費者と企業っていうただのお金の関係じゃなくて、そのユーザーがニコニコ動画っていう組織サービスを基本的に崇拝している人も少なくなかった。リスペクト。Apple には結構そういうユーザーいっぱいいるが、その先駆けみたいな。そういう意味でもかなり新しくてすごく革新的だった。
でも収益化をうまく機能できなかった。YouTube との大きな差はやっぱ広告モデルがあったかどうか。
インターネットユーザーがその無料を信奉しているのでちょっとゆがんだ形になっている。

・フリーのビジネスモデル
機能制限型、時間制限型、 広告表示型、機能解除型、 ユーザー数制限型、消耗品課金型

・フリー文化はそもそもどこから来たか
1960 年代。アメリカの西海岸で主に戦争や権利に反対するような考えから生まれた若者中心の動きがあった。カウンターカルチャー。規則を嫌い、主流文化に対する反発や自然との行政。自己探求持続可能な世界を生活を求める。ライフスタイルを求める。平和、自由、自然、エコ。
影響を受けたアーティストも多い。ボブディランとジミヘンドリックス、ビートルズ。スティーブ・ジョブズも。
ギークとかハッカーと呼ばれる人たちの倫理は、技術を使って自由な情報共有とか個人の創造性を促進して、さらにそれを使って社会を改善しようということを目的とした思想。

任天堂がポケットペア訴訟の事例。ナップスター訴訟。メタリカ批判。

ユーザーは無料を求める。でも企業は利益がないとやっていけないのでそれらが両立するビジネスモデルとしてフリーが大きく成長。

・フリーによる弊害
配信者は稼ぐためにみんなが求める動画を出す。誹謗中傷、暴露系、暴力、危険行為。
昔のYouTubeは自分で色々検索して冒険に出かけるような雰囲気があった。そもそもネット自体がそんな感じだった。今ネットってこれを見なさい。これを見なさい。これは見なさいで、なるべく売り広告につながりそうなもの動画をピックアップしてくる。
そうするともともとネットって自由で結構、島宇宙平等で自分の考えをしっかり持って主体的に判断するして社会成熟させるといい世界だってなっていたが、その逆になって結局たテレビみたいになっている。

無料は存在しえない。ちゃんとお金を価値のあるものにお金を払っていく積極的な姿勢が大事。お布施的なことも。ファンがしっかり支持をする。それをしないといびつな構造を作っていくしかなくなる。
無料がいいんだと思ってしまうことに罠があって、価値あるものがお金だけやと思ってしまいがち。価値あるもの=お金。
本当は時間とか貴重な情報得られる機会だったりとかで社会が健全になることだとか。もうもっと大事な価値いっぱいあるのに。

・シリコンバレーのカリフォルニアイデオロギー について
今のネットは一言言うと管理的で統合的。カリフォルニアの人たちはこれ嫌いなはずだった。でもこんなツールを作っている。これは IT がジャイアントになりすぎて、投資家たちのお金が入りすぎて、彼らが嫌っていた巨大勢力になってしまっている。
平等フェア自由、自由(本当はフリーダムとリバティーがありますが)、グローバル、エコー。テクノロジー。反体制。旅行、共産主義、マルクスとか好き。バイク好き。尾崎豊とかも盗んだバイクで走り出すみたいな。車だとこの決まった道を行かないといけないがバイクは細い道もある程度オフロードでも自分で決めた道を自由に走れる。大体似通ってこの辺を好む。
こういった思想がIT がフリーであることを要請してねじれた構造を生んだっていうのになってると思う。
デモをする人もその傾向。シールズ。
ビートルズは当初は社会を揺るがす危険なものの一つだと思われてたが今はそうではなく、むしろ何の危険性もなくどこで流しても誰も何も思わない。カウンターカルチャーの信奉者が信仰するようなコンテンツは、結局その体制側に取り込まれ資本主義とか政府とかに利用されるものになっている。最初はオルタナティブに見えた新しい文化が吸収され無限ループになってしまっている。
反資本主義だが資本主義の何も変えなかった。カウンターカルチャーが好きな人は、社会が統一の体制を持っていて支配、抑圧されているとと思いがち。陰謀論。
抑圧されている→快楽や破壊を求める。快楽は資本主義と親和性高い。フリー

なぜ労働者たち自分の働いている工場を団結しするなりお金貯めるなり工場を買わないのか(資本家にならないのか)
労働者はなんだかんだ資本主義と商品が大好き。文化的価値の高いとされるような芸術品よりは、即座にその場の快楽を満たしてくれる商品を好んだ。
いろんな議論はあるが、大衆が正しいと思いがちではないか。ナチスの例。マインドコントロールしていた問題もあるが大衆は正しかったのか。

・「一般化」の問題
反体制の人たちが出てきたらその時点で個別の評価せず良しと判断してしまう人たち(一般化)
カウンターカルチャーがイデオロギーになってて物事を一般化している。

・フリーは好きか
いろんな映画やアニメなど作品の中で大衆が悪で貴族が善の作品はみたことがあるか。
近代の最大の特徴。オルテガが20世紀初頭に既に批判。ポイントは利他性。
大衆が利他的であれば大衆が支配する社会が健全になりうるが、そうでなはない。

デイヴィッド・ヒューム、一般化っていうことがどこまで可能なのかみたいな研究している哲学者。

・どういったネット社会を求めるか
フェイクニュースを防ぐとか?積極的にスパチャ?それはそれで短絡的なものにお金が流れてしまう。
そもそもネット・デジタルではお金の流れが見えず有り難みを感じにくい。いろんなものがデジタル化して便利になった反面、それによって失われたものに気がつかない。
このイベント自体もオフラインでのみやっている。ここまで来るには時間など手間がかかるが、実際に会うことこそ言葉のやり取り以外の情報の伝達がある。
それらもデジタル化できてしまうような気もするが、大切なことはなんだろう。


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